■一生懸命の芸人・吉田簑助 ― その5 ―
5.吉田簑助は立派な一生懸命の「芸人」である

客に受けるために、客の喝采を浴びるために、客に感動を与えるために、一生懸命「芸」をするのが、芸人・吉田簑助なのだ。
そして、浮気で現金な大阪の客が、最も愛し、心から好むのは「一生懸命の芸」なのだ。
それでは、「芸」とは何か。
「芸」とは、私流に言い換えれば、「生業」なのだ ―― 。しかし、この「生業」は、ただ生活の糧を得るだけのことではない。
「芸」とは、限りない探究心向上心を礎に、切磋琢磨、鍛錬修養を、地道に積み重ねることによって、一般人には到底真似のできない、高度に洗練磨きぬかれた「技術・技芸」で以って為す、お客様への「感動サービス」なのだ。
そして、芸人とは、「芸」を有償で提供するプロフェッショナルなのだ。
「職人」という言葉がある。
自分の技能に限りなく誇りを持ち、自分のためにその技術を磨こうとする ―― それが、私の有つ職人のイメージ。
自分の技能・技術のためだけに研鑚努力をする。その向こうにあるのは、職人としての誇り。
職人を、たとえて言えば、私に於いて、格式のただ高い(もちろん値段も敷居も高い)江戸前の寿司屋の店主である。
寿司職人は、その技術だけを提供する。
寿司職人は、客を選ぶ。彼の技術を理解できない客には嫌悪感を持つ。
それが、私の職人のイメージである。
そして、私にとっては、あの八重垣姫の吉田簑助が、立派な大阪の「芸人」のイメージなのだ。
「芸人」である以上、舞台は命であり、客は主人である。
立つべき舞台がある限り、客が一人でも吉田簑助を求める以上は、吉田簑助は、芸人として、舞台の上でその芸を尽くさなければならないし、そのためには、技能・技術の探求向上を果てしなく続けなければならない。
それが芸人としての宿命であり、喜びであり、悲しみではないか。
一人でも彼の芸を堪能したいというものがいる限り、吉田簑助は、これからも「一生懸命」であり続けなければならない。それが「芸人」というものであり、そしてこれからも、いつまでも、吉田簑助は、絶対、芸人で在り続けなければならないのだ。
あの日の視線が見詰めていたであろう、蜃気楼の彼方へ、無限の歩みを続けなればならないのだ。
吉田簑助が、芸人で、ある続ける限り。
一生懸命の芸人のインタビュー取材が、いつの日か、できることを願っています。
<・・・ その4|了

客に受けるために、客の喝采を浴びるために、客に感動を与えるために、一生懸命「芸」をするのが、芸人・吉田簑助なのだ。
そして、浮気で現金な大阪の客が、最も愛し、心から好むのは「一生懸命の芸」なのだ。
それでは、「芸」とは何か。
「芸」とは、私流に言い換えれば、「生業」なのだ ―― 。しかし、この「生業」は、ただ生活の糧を得るだけのことではない。
「芸」とは、限りない探究心向上心を礎に、切磋琢磨、鍛錬修養を、地道に積み重ねることによって、一般人には到底真似のできない、高度に洗練磨きぬかれた「技術・技芸」で以って為す、お客様への「感動サービス」なのだ。
そして、芸人とは、「芸」を有償で提供するプロフェッショナルなのだ。
「職人」という言葉がある。
自分の技能に限りなく誇りを持ち、自分のためにその技術を磨こうとする ―― それが、私の有つ職人のイメージ。
自分の技能・技術のためだけに研鑚努力をする。その向こうにあるのは、職人としての誇り。
職人を、たとえて言えば、私に於いて、格式のただ高い(もちろん値段も敷居も高い)江戸前の寿司屋の店主である。
寿司職人は、その技術だけを提供する。
寿司職人は、客を選ぶ。彼の技術を理解できない客には嫌悪感を持つ。
それが、私の職人のイメージである。
そして、私にとっては、あの八重垣姫の吉田簑助が、立派な大阪の「芸人」のイメージなのだ。
「芸人」である以上、舞台は命であり、客は主人である。
立つべき舞台がある限り、客が一人でも吉田簑助を求める以上は、吉田簑助は、芸人として、舞台の上でその芸を尽くさなければならないし、そのためには、技能・技術の探求向上を果てしなく続けなければならない。
それが芸人としての宿命であり、喜びであり、悲しみではないか。
一人でも彼の芸を堪能したいというものがいる限り、吉田簑助は、これからも「一生懸命」であり続けなければならない。それが「芸人」というものであり、そしてこれからも、いつまでも、吉田簑助は、絶対、芸人で在り続けなければならないのだ。
あの日の視線が見詰めていたであろう、蜃気楼の彼方へ、無限の歩みを続けなればならないのだ。
吉田簑助が、芸人で、ある続ける限り。
一生懸命の芸人のインタビュー取材が、いつの日か、できることを願っています。
<・・・ その4|了



