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勘十郎、清十郎の二十郎時代を、信じて待とうではないか。

清十郎襲名
↑ 五世豊松清十郎さん(Wクリックで大きな写真が見られます)

五世豊松清十郎襲名公演、11月10日、15日に、行ってから、2ヶ月。
いま、文楽劇場では、初春公演中。
昨年の初春公演では、七福神宝の入舩の寿老人に失望したものだった。
「やはり、ここまでやな」誰もが、そう思ったはず。

そして、清十郎襲名公演。
2度、襲名披露口上を聞き、
2度、本朝廿四孝「十種香の段」「奥庭狐火の段」を観て、
2度とも、感激興奮した。
「これなら、いけるかもしれへんな」そう、密かに思った。

清十郎襲名祝花
↑ 楽屋ロビーに飾られていたお祝いのお花たち(Wクリックで大きな写真が見られます)

勘十郎が、素晴らしかった。
一等、頭抜けていた。
清十郎が一皮むけて、勘十郎のようにぐーんと行けば、
「大丈夫」と、思ったものだった。

誰もが、勘十郎の左遣いの補佐に、興奮し、堪能し、賞賛したはずだ。
誰もが、清十郎の八重垣姫の、一所懸命さ、真摯さに心打たれたはず。
「この2人ならやれる」と、確信したのは、ぼくだけではないはず。

それにしても、あとは、太夫だけか。
嶋さん、もう少しがんばってください。
太夫の存在感、もう少し見せて、聴かせてやってください。

嶋太夫師
↑ 嶋太夫師(Wクリックで大きな写真が見られます)
楽屋上がり口で、気軽に撮影に応じてくださいました。ありがとうございました。


芸の衰えを押し付ける、太夫。
師の名声にしがみつく、人形遣い。
裏方の過酷さを知らぬ顔で無理強いする、誰かさん。
ファンに視線を真正面から向けようとはしない、誰かとだれかさん。
そういった、もろもろの問題、厳としてあるだろうけど、
「奥庭狐火の段」の勘十郎、清十郎の二十郎の感激興奮を思い起こすたびに、
次世代の文楽を、
次世代の成長、充実を、
毎年、11月には、この目で、この耳で、確認したいと、
思う今日この頃。

さて、今年の初春公演。
昨年とは大いに違って、二十郎の奮闘が輝いている。
お染の初々しさに、清十郎自らの姿勢が投影され、まさしく適役ではないか。
そして、先年、玉男師が座頭として遣った久三の小助、
今年は、勘十郎。
勘十郎への期待の大きさが知れるばかりか、
勘十郎自身、玉男師の名演に近付こうとの必死さが、しかと伝わってくる。
その必死さが、精進となり、いずれその性根を会得するはず。
否、しなければならない責任を負っている。

清十郎さんとファン
↑ ファンと接してくださる清十郎さん(Wクリックで大きな写真が見られます)
楽屋口で、沢山のごひいき様に囲まれて、笑顔でごあいさつ。ファンをとっても大事にされています。


それにしても、二十郎を育て上げた簑助師の喜びは、
如何ばかりかと、推して知るべし哉。
客に無理強いせず、客を大事に思い、客あっての芸と信じるその心、
勘十郎、清十郎とも、今後も大事に大切にしていただきたい。
であれば、文楽の行方に、まだしも、期待が持てるのだから。

<にはの寿々女 07 jan.2009>
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■一生懸命の芸人・吉田簑助 ― その5 ―

5.吉田簑助は立派な一生懸命の「芸人」である



 客に受けるために、客の喝采を浴びるために、客に感動を与えるために、一生懸命「芸」をするのが、芸人・吉田簑助なのだ。
 そして、浮気で現金な大阪の客が、最も愛し、心から好むのは「一生懸命の芸」なのだ。
 それでは、「芸」とは何か。
 「芸」とは、私流に言い換えれば、「生業」なのだ ―― 。しかし、この「生業」は、ただ生活の糧を得るだけのことではない。
 「芸」とは、限りない探究心向上心を礎に、切磋琢磨、鍛錬修養を、地道に積み重ねることによって、一般人には到底真似のできない、高度に洗練磨きぬかれた「技術・技芸」で以って為す、お客様への「感動サービス」なのだ。
 そして、芸人とは、「芸」を有償で提供するプロフェッショナルなのだ。
 「職人」という言葉がある。
 自分の技能に限りなく誇りを持ち、自分のためにその技術を磨こうとする ―― それが、私の有つ職人のイメージ。
 自分の技能・技術のためだけに研鑚努力をする。その向こうにあるのは、職人としての誇り。
 職人を、たとえて言えば、私に於いて、格式のただ高い(もちろん値段も敷居も高い)江戸前の寿司屋の店主である。
 寿司職人は、その技術だけを提供する。
 寿司職人は、客を選ぶ。彼の技術を理解できない客には嫌悪感を持つ。
 それが、私の職人のイメージである。
 そして、私にとっては、あの八重垣姫の吉田簑助が、立派な大阪の「芸人」のイメージなのだ。
 「芸人」である以上、舞台は命であり、客は主人である。
 立つべき舞台がある限り、客が一人でも吉田簑助を求める以上は、吉田簑助は、芸人として、舞台の上でその芸を尽くさなければならないし、そのためには、技能・技術の探求向上を果てしなく続けなければならない。
 それが芸人としての宿命であり、喜びであり、悲しみではないか。
 一人でも彼の芸を堪能したいというものがいる限り、吉田簑助は、これからも「一生懸命」であり続けなければならない。それが「芸人」というものであり、そしてこれからも、いつまでも、吉田簑助は、絶対、芸人で在り続けなければならないのだ。
 あの日の視線が見詰めていたであろう、蜃気楼の彼方へ、無限の歩みを続けなればならないのだ。
 吉田簑助が、芸人で、ある続ける限り。
 一生懸命の芸人のインタビュー取材が、いつの日か、できることを願っています。

 <・・・ その4|了

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■一生懸命の芸人・吉田簑助 ― その4 ―

4.ところが不思議と二人の会話が弾みだしたのだった



 衛星放送の特集でギリシアで強行軍収録したこと。阿古屋の苦心とその重さゆえにできた指の胼胝<たこ>のことなど、近況をいろいろとお話しされる、簑助師匠。
 しかし、これでいいのか? いつもいつも一生懸命すぎてめいっぱいに頑張りすぎではないか?
 いまの文楽を、どうにかしたい気持ちがなみなみと溢れている。文楽ファンを、大事にしたい心が伝わってくる。文楽を、心底愛する情熱が切々としている。
 簑助師匠が、小生意気な女史から視線を外し、焦点を曖昧にしながら遐く遙か彼方のなにものかに語り続けるその姿は、なにかしら感銘的であり、そして感傷的であった。
 その1ヵ月後、吉田簑助は倒れた。
 女史は「働き過ぎなの」と呟いた。「一生懸命やり過ぎなの」とも言った。
 私は、98年の正月公演での八重垣姫の吉田簑助を思い起こした。
 哀しいかな、客の入りが悪くても、一生懸命にただひたすら己の芸に打ち込み、技術と情熱の限りに舞いつづける吉田簑助を思い起こした。ただひたすら一生懸命の芸を披露する「吉田簑助」の恍惚たる表情を、少しばかり酸味の帯びた気持ちで、私は思い起こした。

 <・・・ その3| その5 ・・・>


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■一生懸命の芸人・吉田簑助 ― その3 ―

3.思えばあれは1998年9月29日のことだった



 私たちは、その日、京都府八幡市の文化センターでの地方公演「曽根崎心中」を観に行った。もちろん、お初は、吉田簑助。そして「曽根崎心中」は、私は2度目。初めて観たのは、その年の2月だったか、東京公演で、そのときは、腰痛と微熱をこらえての観劇であった。何かしら少しばかり夢うつつの世界であったからか、最後の道行きに不思議な興奮を覚えたものだったが、どういうわけか八幡市文化センターではそうではなかった。
 それはきっと2度目だから、と信じこもうとしながら、京阪電鉄の八幡市駅へと歩を進めたものだった。
 八幡から急行に乗り込むと、偶然、同じく帰路に就かれていた吉田簑助師匠と同じ車両に、しかもホン近くに乗り合わせて、しまった。なぜ「しまった」なのかと言えば、私自身、一度いろいろとお話をしてみたいと憧れてはいるものの、その憧れ心ゆえか、それとも生来の人見知りの度が強くなってしまうのか、なぜかしらそこに居るだけで妙に緊張してしまうという体質である上に、そのとき私とご同行されていた女史がまた、簑助師匠の前にくると私以上に緊張されるという方だから、なるべくなら、近くに居合わせたくない、が本音であり、その本音が「しまった」になっただけなのである。
 私は、こういうときは行動が早く、さっさとドア近くに自然を装いながら身を移動させたが、視線をしっかりと合わせてしまっている女史は、そうもいかずそのとき既に、“観念”の意がその表情に一瞬表れたものだった。

 <・・・ その2| その4 ・・・>


空は気持ちのいいほどまっ青でした。



吉田文吾師のお葬式に行ってまいりました。
葬儀が行なわれるそのときの空はまっ青。
吉田簑助師と嶋大夫のお二方が見えておられました。
これで、また随分と寂しい文楽になってしまいました。
吉田簑助師と嶋大夫の頑張りが、いまこそ必要なのかもしれません。
最後のお別れのとき、
二人のお孫さんが号泣されていたのが、悲しすぎました。
心より、ご冥福をお祈りします。

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吉田文吾師にお別れに行ってまいります。



きょう、葬式に行ってまいります。
悲しいお別れでもあります。
いまぼくの前にあるのは、2008年の文楽のカレンダー。
表紙に、文吾師匠の遣う太郎冠者が居ます。
静とした表情に気合がみながっています。
「玉男兄さんのカッコええとこ、随分とらせていただきました」
非常に勉強熱心な方でした。
大阪的に言えば、「ハイカラ」な方でもありました。
知人の所に、去年暮れ
「サライに玉男師匠と一緒に舞台写真が載ってる」
と電話があったそうです。
ほんとうに「これから」というときに、
きっと悔しかったでしょう。
もっとやりたかったでしょう。
こうして、また、文楽は遠くにフェードアウトしていくばかりです。
こころより、ご冥福をお祈りします。

■一生懸命の芸人・吉田簑助 ― その2 ―

2.再び吉田簑助のことを書くことになった

 なぜか ―― 。それは、私個人の理由に由来する。
 いま、「会」の総力特集として、人間国宝のインタビューを会報に連載している。ありがたいことに、これまでの全てのインタビュー取材に、録音係として参加させていただいた。そしてその間、心より心待ちに、私一番の楽しみとしていたのが、実は、吉田簑助師匠。
 ところが、ご存知のように、簑助師匠は、1998年11月2日(文楽11月公演2日目)の夜、楽屋で倒れ、急遽代役を立てて、それ以降は休演となった。その後、「足遣いでもよい、もう一度、人形を遣いたい」その一心で、病状回復後はひたすらリハビリに専念され、その甲斐あってか、翌1999年7月17日の『桂川連理柵』のお半で驚異的な復帰をされた。そしていまはもう、本調子に戻った観がある。
 しかし、まだお言葉のほうはご不自由されていると聞き、この分でいくと、当面、インタビュー取材は、残念ながらあきらめなければならない。だからと言って、このまま何もせずに待っていては、私の心に悔しさが育っていくばかりではないかと、ここに、小文を提し、併せもって、エールとなす次第。

 <・・・ その1| その3 ・・・>

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■一生懸命の芸人・吉田簑助 ― その1 ― 

1.ここに一葉の写真がある

 写真といっても、「頭巾かぶって五十年 ― 文楽に生きて」(吉田簑助著・淡交社刊)の第一章の扉に印刷されたものである。
 縦長に構図されたその写真(撮影・土門拳)には、漠として遐い彼方に視線をやる黒衣姿の少年の頭上に、飄然と天を仰ぐ人形がぶら下がっている。
 その少年の視線の向こうになにがあるのか。
 濃密にその空間に詰まった寂寥感にも無関心の態で、虚ろに放つ視線の向こうには、時を未来に超えた所で、彼の磨き鍛え上げた「芸」を喝采する観客たちの蜃気楼が漂ってでもいるのだろうか。
 歓声と称嘆のなかで華やかであるべきその舞台の裏で、何者もその心への進入をゆるさない強い意志に守られた孤独と、果てしない自己追究によって生み出される甘美的な寂寥とに、やさしくいだかれているそのひっそりとした「瞬間<とき>」が、至福の夢の時間でもあるのだろうか。
 吉田簑助。いまの彼が、そのまま余さずそこにある。

minosuke

 | その2 ・・・>


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うまい安い簡単料理レシピ大ちゅき。
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[01/07] 勘十郎、清十郎の二十郎時代を、信じて待とうではないか。

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[10/21] ■一生懸命の芸人・吉田簑助 ― その1 ― 

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